2/22

家の前に、日大の新校舎が完成した。

すこし明るくなったので良いとしよう。

それにしても、毎日はゆるやかに蝕んでいて、ぽつぽつと吹き出物が出来ては消えて、また出来てみたいな毎日だ。

同居人がNYに出張で旅立った。仕事で行くNYはどんな気分だろう。

少し、憂鬱な気分になったので僕は世田谷公園まで走った。

みんな良く走る。

2/11

ブログを書くなんて行為なんて久しぶりだけど、このひっそりとした空間は心地がよいのである。

SNSは嫌いじゃなくて、自分の記録が残ることは喜びに近い。私的ブログの延長でしかないのだけど、僕はこのページの方が向いている。
この街にいると、妙な事がたくさんおこる。
僕は、何か惹きつけられるように、家の近くの世田谷観音という神社に行った。
昼から快晴で、日差しが強くて、東京の空は切なくなる。
誰もいない神社で、色んな神様が祀られていて、欲の深さを許してくれる仏像の前で、ひっそりと涙を流した。あまり、考えこまなくても、こうやって守ってくれるセーフラインに身を委ねたのだった。
少し、気分が良くなって、駅前のシャノアールで写経のように、日記的なものを書いた。

 

1/26  その2

ひたすらに寒い。築40年くらいの木造の家は、強い風が吹くと、ガタガタと揺れる。

ある日、故郷での恩師が東京にやってきた、私は思う所も
あって、ささやかやだが、パーティを開いた。頭の良い人も、金持ちもそうじゃない人もみんな和気藹々と話した。
次の日、故郷の友人が来た、私と彼は小さな中華料理屋でお酒を飲んだり、色んな話をした。
何もきかなくても、たくさん喋る彼が好きだ。
死人に口なし
正にそう思うことがたくさんあったが、
これだけ離れていれば、空気と共に響くこともないのだ。
空気が響かないと伝わらない事を、痛感できる夜だった。
ある、陸上の選手がいて、彼が走る途中に、足をひっかける人はあまりいない。いたら、それは、品位を問われる行為なのだ。
だけども、彼のために障害物を置く事には、賛否両論だろうと思う。
もしかしたら、飛躍的にタイムが伸びるかもしれないし、挫折するかもしれない。
怪我なんてされた日には、一日中ブラックだ。
だけども、人と関わるのであれば、そんな風でありたいと感じた。
12時まひるの新宿にて
たかはら

 

 

1.26

カフェに行く。近くには、シャノアール、コーヒーセブン、新宿にでれば、ベルク。

ある日、詩を書きに行く、テーブルに腰を落ち着けて、少し難しめの本に目を通す。まわりなは、そんなライバルが3人くらいいる。きっと、みんなブラックコーヒーだ。PCを使うやつもいるけど、僕は手帳に書いてる。ウェイターさんがチラッとのぞく。水を何度も注ぎに来ては。4回めで、恥ずかしくなる。そこで、書くのを辞めるのであった。

 

1/18

去年はたくさん飲んだ、スペシャルな出会いも多くあった。これも、ほとんどはあの方のおかげであり、それを思えるのら良いのだと思っている。

ここでは、異様なものが見つからない、というか浮かんでこない。小倉にいた頃、東京からのツアーバンドに、君は上京しない方が良いよと、よく言われたものだ。今は、ぼんやりとその意味が分かる。
アイデンティティなんてものは、口では信じてなかったけれども、こんなにも自分の心にささるのだと思ったのであった。だから大事に歌を歌うのである。なんと、簡単な事か。
今、住んでる町のツタヤは、名作ばかり借りられてる。
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